春の決意 2016年03月

このところ、ネット世論と称する、実体が見えない存在がこの国を横行している。

結論を先に言おう。

「言葉が不快」である。

先日のネット掲示板で「「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名の投稿があった。

日本は自由の国なので、どんな発言も許される国だから、それ自体に文句をいう気はない。

問題は、その言葉の下品さだ。日本語としても変です。

 

そして、その投稿を煽るようなマスコミの報道の在り方に疑問を感じます。

あたかも正義の言葉のような捉え方で報道し、保育園が足りないのは政府の怠慢だとばかりの大合唱です。与野党問わず「大変だ、何とかしなくては」と右往左往し、国会での質疑にこの匿名の投稿が使われている事実である。

それに文字通り悪ノリして、抗議活動をする市民団体という不思議な集団。

それに抗議や意見を挟もうとすると、マスコミは正義の刃とばかりに潰しにかかる。

学校での「イジメ」が問題視されているが、今やマスコミによる「イジメ」がのし歩いているのが、この国です。「保育園落ちた日本死ね!!!」と投稿した匿名の意見?が公論化されるのは、おかしいのである。もし、意見を言いたいなら堂々と名乗れ!と言いたい。

それに、表現として実に不快な言葉だ。

正常な感覚を持つ人間の言葉とは認めがたいものを感じるのである。この国は、自由に意見を言えない全体主義の大陸の某国ではないのだ。匿名の意見、それも稚拙な表現が取り上げられることに違和感を覚えるのは、私だけではないと思う。

この稚拙な表現に、私はどうしても素直に受け入れることができません。自分の気持ちを、このような薄汚い言葉でしか表現できない人がいることがいることへの悲しさを感じます。もしかしたら、日本人の日本語力の衰えが顕著になってきているのではないでしょうか。若い人の言葉がおかしいというより、表現力が乏しくなっているのは、私の仕事柄、特に感じることです。

最近、卑劣な犯罪事件の度に報道され現象にSNSに投稿している加害者の稚拙、下品、そして不快感が募る表現を多く目にします。話し言葉をそのまま文字にして表現されています。

曰く、ウザったい。

曰く、死ね!

曰く、カマしたる。

 

何をか言わんである。これでは、昔よく目にした駅の公衆トイレの落書きと同じです。

落書きの本質は、匿名であるが故に言葉にすることができない下品なものが多かったものです。それと今回の匿名の投稿は本質的には、落書きと同じとしか思えないのです。

そのような「落書き」に振り回されているマスコミはもちろん、与野党の稚拙さが情けないとしか、思えないのです。

また、最近のマスコミの物事のとらえ方が「正義:悪」という対立構造で捉える傾向が強くなっていると思います。原発は悪、反原発は正義。安保法は悪、反安保は正義。辺野古は悪、反辺野古は正義。経歴詐称は悪、そしてマスコミは正義。

この図式が横行していることに疑問を感じるのです。

世の中は、そんなに単純なものではありません。好き、嫌いの感情論で物事、政治をとらえる傾向が強まっているのでないでしょうか。日本人には、「右へ倣い」という体質があると思います。「まぁ、みんながそう言うならば、そうなんだろうな。じゃ、そうしよう!」です。

マスコミが「悪だ!」と声高に吠えると、直ぐさま「右へ倣い」では怖いものがあります。

 

それにしても、この国は自由であると改めて思いました。

独裁者が牛耳っている半島の国、大陸で独裁制を強めている彼の国、世界最大の国土を持つ国、そこでもし「○○国死ね!!!」と投稿したら、本人は生きていることはできないでしょう。シールズの反安保集会で某評論家が安倍首相に向けて「バカか、お前は」と発言したそうです。反対運動は大いに結構だが、その評論家が発した言葉の貧困さが悲しい。

だからこそ、稚拙な表現のネット投稿で盛り上がるこの国の現状に危機感を感じるのです。

 

もう直ぐ、4月です。

フレッシュマンたちが社会人として仲間入りです。正しい言葉遣い、きちんとした日本語、正々堂々と自分の意見を述べ、考える力を高める研修を行っていこうと改めて決意した春です。

  

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