野村克也監督、安らかに! 2020年02月

今朝、2月11日にヤクルト、楽天などの監督を務めた野村克也氏が死去したと、

テレビのニュースで伝えられた。

84歳だった。

テレビの画面には、ヤクルト監督時代の日本シリーズ優勝で、野村監督の胴上げのシーンが映し出されていた。

(野村監督の代名詞となった月見草の花)

 

そのニュースを観ながら、その死を悼みながら懐かしい思い出が蘇ってきた。

僕は野村監督と1度だけ出会ったことがあった。

今でも忘れられない思い出だ。今から23年前、1998年の1月のことだ。

現在のエイム・コンサルツを立ち上げて3年目だった。

台湾の企業への研修のために台北に滞在していた僕は、

日中の研修が終わり、台湾企業の幹部の方々との会食を終え、ホテルに戻った。

研修も滞りなく終え、会食でも大いに盛り上がり、僕も達成感を感じながらホテルの前でタクシーを降り、ホテルの玄関に向かった。

玄関前には大きなバスが止まっていた。

どこかの団体客が来たのかな、と思いながらバスのフロンガラスを何気に仰ぎ見たら、そこには「日本国ヤクルト棒球団」と記されたシールが貼られていた。

え!ヤクルトのチームが来ているんだ!!

ヤクルトが日本シリーズで優勝し日本一になった年だ。

僕が2年前まで勤めていたリクルートの新橋ビルのお隣がヤクルト本社で、

そこのホールをよく利用していたことや、出入りのヤクルトレディからヤクルトをいつも愛飲していたこともあり、親近感から野球はヤクルトファンだった。

そして当時、データを活用した「ID(Important data)野球」で弱小チームだったヤクルトを日本一にまで育て上げたのが野村監督だった。

当時、僕は企業経営者、管理者への研修テーマのひとつに、「ID野球」のビジネス戦略やマネジメントへの活用を取り入れていたこともあって、僕なりに「ID理論の具体化」を展開していた。

ちなみに「ID野球」では、まず何よりミーティングに長い時間を使うこと、そしてその形式も非常に独特のものであり、野村監督が延々と講義しながらホワイトボードに板書し、選手はノートをとって試合前やオフ時間に見返す、というもの。

打球カウント別の打者・投手・捕手心理がその講義の中心で、カウントパターンに合わせた野村の緻密な独自理論は、のちに指導者になるような選手にとっては戦略としての野球の面白さを教えてくれた貴重な時間だったと言われていた。

その進め方が、リクルート時代に行っていた僕のマネジメントスタイルに似ていたこともあって、野村ID野球に対して興味が尽きなかった。

話を戻そう。

「日本国ヤクルト棒球団」のシールを見た僕は、ヤクルトチームが来ているんだ、と嬉しい気分でホテルのロビーに入った。

広いロビーには一般客に交じってヤクルトのユニフォームを着た選手たちの姿が目に入った。

古田選手はいないかなぁ、ピッチャーの高津選手は?などとスター選手を追いかける少年ファンの気分で周囲を見渡した。

すると僕のすぐ傍に、あの野村監督が一人で立っているではないか!

あ、野村監督だ!

僕はその偶然の出会いに嬉しくなって思わず声をかけた。

「野村監督、この度は日本シリーズ優勝おめでとうございます!」

監督は「あ、どうも!どうも!」と笑顔で返してくれた。

「野村監督、台湾へは試合に来られたんですか?」

「いゃね、台湾のプロ野球チームとの親善試合に2軍の連中と来たんですよ」

そういえば、このホテルも台湾のプロ野球を持つ財閥グループだ。

ますます嬉しくなった僕は「監督、僕はヤクルトと野村監督のファンなんです。偶然ここ台湾でお会いできてとっても嬉しいので、もしお時間があれば、そこのメインバーで軽く一杯、お付き合い願えませんか!?」

今、振り返ると、初対面でありながら実に厚かましいことである。

断られるのを覚悟の上でのお誘いだった。

すると野村監督は「いいですよ!お付き合いしましょう!」と笑顔で応えてくれたのである。

「ありがとうございます。」

僕は最敬礼でお辞儀をして、監督をメインバーに誘った。

バーの席について「監督、何を飲まれますか?」と尋ねると「あなたにお任せしますよ」

やはり笑顔でおっしゃった。

「では、スコッチのシングルモルトのマッカランの水割りでよろしいですか!」

オーダーした水割りが運ばれるまでの時間をムダにはできない。

名刺を差し出して「私はこういうものです。」と自己紹介。

そして以前勤務していたリクルートのビルの隣がヤクルト本社だったこと、ID野球の応用を現在の企業研修で取り入れていることなどを話した。

そして、運ばれてきた水割りを掲げて「乾杯!」

それまでは、ニコニコと笑顔で聞いておられた野村監督が口を開いて

お話しをされた。

「こうしてファンの方と親しく杯を交わすことは嬉しいですね!いろんな集いで杯を交わす機会はあっても、こうしてフアンの方と差しで杯を交わすことは滅多にありませんから。」

「光栄です」と僕。

「あなたは野球はやらないの?」と監督。

「だめですね!はっきり言って下手です。家内の方がセンスあります。」と僕。

野村監督は笑って「そうか、それは残念!でもID野球を研修に取り入れているのは嬉しいな」

監督に褒められた僕は調子に乗って「監督も大事になさっているミーティングは大切ですね、僕はミーティングの場でメンバーのポテンシャルもつかめるし、僕の気持ちも伝わるように思います。」

ID野球の話をあれこれ交わしていたら、あっという間に30分は経ったろうか。

「僕はそろそろお暇します。明日もあるのでね。」

野村監督は静かに立ち上がられた。

僕は慌てて立ち上がり、「野村監督、とても嬉しい時間をご一緒でき「感謝です。ほんとうにありがとうございました。」

「寺岡さんも(このとき初めて名前を呼んでいただいた)お仕事を頑張ってください!」

「ありがとうございます!」

そのときだ!

野村監督がテーブルの上に置いてある伝票をつかんで行こうとされたので、僕は慌てて「監督、それは私が払いますので。。。」と声を出したら、野村監督はニコッと微笑んで「ファンの方に払ってもらうのはできません。ここは私に払わせてください!」

僕はその言葉に素直に従うことにした。

「野村監督、甘えさせていただきます。ありがとうございます。今年も優勝を目指して頑張ってください。応援しています。」

野村監督は手を振りながら出口に向かって歩かれて行かれた。

野村監督とは、後にも先にもこのときの出会いが最初であり、最後だった。

その後のご活躍は周知の如くである。

以来、テレビなどで野村監督の姿が報じられると、僕は台湾での出会いを思い出していた。

今朝、テレビの画面にニュース速報のテロップが流れたとき、新型コロナウイルス関連かな?と思ったら野村監督ご逝去の報だった。

あの人懐こい笑顔の野村監督との出会いは、僕にとって大切な宝です。

改めて、野村監督に感謝と共に安らかにお休みください。合掌

 

  

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