だから、生きる

著者 つんく♂ 新潮社刊 1,300円(税別)

「泣けた!」「男の生き様を見た!」「愛の強さとはこういうことか!」 読み終えたときの僕の素直な感想です。 (寺岡 晟)

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「だから、生きる」は、2015年の春、彼の母校近畿大学の入学式で、

喉頭がん治療のための手術で声帯を切除し声を失った歌手・音楽プロデューサーのつんく♂自身が、

闘病の記録と、それまで歩んで来た人生と妻、家族への思いを表した手記です。

正直なところ、これまで僕が読むことがなかったジャンルの本でしだ。

その僕が「だから、生きる」を手にしたのには訳があります。

それは、偶然にもTVのニュースを観ていたときでした。

2015年、4月4日の夜のニュースだった。

「近畿大学の入学式で声を失ったつんく♂が無言のスピーチ」というテロップが流れ、アナウンサーのナレーションで「喉頭がんの手術で声帯を切除した歌手であり、音楽プロデューサーのつんく♂さんが、母校の近畿大学で今日行われた入学式で…」、

それから画面はステージに直立しているつんく♂とバックのスクリーンに映し出される彼の言葉が交互に映し出されました。

「祝辞 平成27年度近畿大学にご入学の皆さん、入学おめでとうございます!この大学の卒業生でもあります私、「つんく♂」と申します。

正直に言いましょう、今日この入学式には、近畿大学に必死のばっちで入学した人、狙い定めて入った人、結果的に(滑り止めで)近畿大学に入った人。いろんな人がいるでしょう。

でも、あなたにとってどの大学が正解だったんでしょうか…それはわかりません。

ただ、ひとつ言えるのは、この先の人生で、あなた自身が「ああ、この大学に入ってよかったな。」という道を歩めば良いんだと思います。」

僕はテロップと交互に映し出されるつんく♂の表情を観ながら、「ああ、つんく♂は本音で語っているんだなぁ…。」と、素直に受け止めることができ、より画面を注視した。

「なぜ、今、私は声にして祝辞を読みあげることが出来ないのか…それは、私が声帯を摘出したからです。」

会場のどよめきがTVを通じて伝わって来ました。

「去年から喉の治療をしてきていましたが、結果的に癌が治りきらず、摘出するより他なかったから、一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。

そんな私に、「今年も近畿大学の入学式のプロデュースをお願いしたい!」と、この大学から依頼がありました。

その時に思いました。「ああ、この大学を卒業してよかったな。こんな私がお役に立てるなら精一杯頑張ろう!」そう心に思いました。

僕の眼がしらが熱くなった。

…中略

「ここまでの人生はもしかしたら受け身だった人もいるかもしれません。

親が言うから…学校の先生がすすめたから…でも、もうすぐ皆さんが成人します。

もう自分の人生を歩んでいくんです。後悔しても意味がないんです。

今から進んでいくんです。

自分で決めて進んで行けば、絶対に何かを得、そしてまた次のチャンスへと繋がっていくんだと思います。

私も声を失って歩き始めたばかりの一回生。皆さんと一緒です。

こんな私だから出来る事。こんな私にしか出来ない事。

そんな事を考えながら生きていこうと思います。

皆さんもあなただから出来る事。あなただけしか出来ない事。

それを追求すれば、学歴でもない、成績でもない、あなたの代わりは無理なんだという人生が待っていると思います。

近畿大学はどんな事にもチャレンジさせてくれます。

だから何もしなかったら何もしないなりの人生をチョイスすることになるし、自分で切り開いていく道を選べば、きっと自分を大きく育てるような、そんな大学生活になるでしょう。

だから最後にもう一度言わせてください。

皆さん、近畿大学への入学おめでとう!

「ああ、良かった!」と思える大学生活をセルフプロデュースしてください!

そして、今日のこの出会いに感謝します。ありがとう。」

胸が熱くなりました。

画面に映る、つんく♂の表情はとっても穏やかです。

優しい笑顔のつんく♂です。

これまで、TVや雑誌で何度か見た、つんく♂の表情ではありませんでした。

それでいて、力強い意志のようなものを感じさせるものが伝わってくる、そんなつんく♂でした。

それから約半年後の9月、「だから、生きる」の出版広告が新聞に掲載されました。

僕は、特にシャ乱Qのフアンでもないが、入学式でのつんく♂のスピーチ、あの優しさ、そして強さはどこから来るのか、とても知りたくなってこの「だから、生きる」を手にしたのです。

本は6章から構成されていて、発病から始まり、苦闘の日々、これまでの人生、妻と家族、そしてこれからの人生、がそれぞれの章に盛り込まれています。

印象的だったのは第二章「終わりのない悪夢」。

いつの頃からか、時折り喉の調子が悪くなり、声を出すことに違和感や声のかすれや、痛みを感じ出し、ステージに立つとき不安を覚えながらマイクを握っていたこと、いろんな薬を試すが効果が薄く、気持ちがイラつくことが日常的になってきたこと、それでも煙草を中々やめられない自分に苛立つ毎日だったこと、その時のつんく♂が弱いひとりの男だったんだ、このようなことを読み手に伝わりやすい言葉で表していて、妙に親近感を感じた僕でした。

第三章「仕事漬けの日々」は、1992年~2006年までのシャ乱Q、のことが中心です。

つんく♂の大阪からプロを目指して上京して、売れない時代、そして最初のヒット「上・京・時・代」で何とか食えるようになり、出演できるとなればどんな仕事も貪欲に引き受け、一秒でも長く世の中にシャ乱Qを露出していたいと、がむしゃらに仕事をしたこと。仕事と仕事との合間に効率よく眠るために睡眠導入剤を飲みだしたこと。

実にすさまじい生活です。

つんく♂は、曲をつくって詞を書き、レコーディングをして、ツアーに出る。日々の十割のうち、「仕事」と「寝る」がメインの九割を占めていて、その間をご飯食べたり、遊んだりという程度。仕事以外のことは頭にない、というような毎日を過ごしていたことがリアルに描いています。

そして、こう書いています。

「この頃から、調子が悪ければ、とにかく薬や点滴でなんとかする、という癖がつくようになった。

胃が痛いから胃薬。

頭が重いから、痛み止め。

疲れているから、ニンニク注射。

眠れないから、睡眠導入剤。

身体的なマイナスは、すべて薬で押さえ込む…。」

これでは病気なるのは当たり前ですが、若さと共に無我夢中の時代だったことが伝わって来ました。

そんな仕事漬けの日々の中で、後につんく♂の命を支え続けてくれることになる生涯の伴侶となる女性に出会うことになったと、その出会いの面白さ、そしてつんく♂の生き方が生き生きと記されていて、一気に読み進んでしまいました。

そして、第五章「永遠の別れ」は読みながら僕は涙が溢れて仕方なかった。

喉の具合が悪化して、薬の治療では治まらくなった頃、生きるためには喉、それは声帯を意味しているが、それを摘出しなければならないギリギリの決断を求められる。

唄えなくなることは、これからの生活に大きく影響してくる、二人のまだ幼い子供たちがいる、

声が命の仕事のつんく♂にとって死の宣告に等しく、心の葛藤を繰り返す日々が描かれている。

でも最愛の妻、奥様が「大丈夫よ!子供二人の面倒くらい私が働けば何とかなるわよ。あなたが生きていてくれることが大切なのよ。」

イザとなれば女性は強しです。

そして、最終章「未来へ続く」です。

病を体験して、生き方、考え方、に大きな気づきがあったことをつんく♂は素直に記しています。

「僕は妻を愛している。子供たちを愛している。だから、生きる」

 

僕も50代の初めに病で生死の境をさまよった経験があります。

数か月の入院生活を経て、無事に退院し我が家に帰ったとき、妻の存在、子供たちの存在、家族の力を痛切に感じました。

これまで当たり前のように過ごしてきた自分、当たり前のように食べ、寝て、歩き、語らい、その価値に気づかされました。

それは、「今、生きていることに感謝すること!」でした。

つんく♂に対して、これまで歌い手としか見ていなかった僕は、この「だから、生きる」を読み終わって、多くの涙と共に、戦友のように思える僕でした。

最後に、印象に残ったつんく♂の言葉で締めさせていただきます。

「本当、全てに感謝ですね。」

 

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